そこに愛はあるのかい?
本を読むことはメッセージを受け取ることだ。
人と人とのコミュニケーションを、本というメディアで交わす。
会話と違うのは、受け取ったメッセージを必ずしも発した相手に返さないところかな。
ある人のメッセージを、今度は自分がメディアになってまた違う誰かに発信していく。
自分が何か思うところがあるメッセージだから、
「伝わってほしいなぁ」
「感じ取ってほしいなぁ」
と、直接会ったことすらない人の想いなのに、
いつの間にか自分のことのように大切にし、自分の一部となる。
つくづくこういうことを考えるたびに、
「結論を、ゴールを決めて書きなさい」
ということの難しさにぶち当たる。
僕がせいぜい思うことは、
表現って偉大だなぁ
とか
自分が伝え手となって、メッセージを受け取った人が幸せになればどんなに幸せだろう
とか
そんなことしか思えないのに。
そんなこともあって、表現で世界を動かせることはどんなことであれ、尊敬します。
表現するものに想い入れがあってこそ、伝え手自身の原動力は生まれるし、
受け手の突き動かされるものが宿る。
一つ屋根の下をリアルタイムで見ていたわけではないし、
なんならユナイテッドアローズグリーンレーベルのCMで放った吉高由里子の方が自分の中では先行してはいるけど、
「そこに愛はあるのかい?」
という一言は生み出すことの根っこだ。