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Twitterは楽しいし、その時のリアルな感情をはきだめのようにつぶやくことができるからか、なんとなく長い文章を書くことを怠ってしまうような。

そんなことにはっとして、いそいそとブログを開き、文章を綴りはじめた。

 

世の中の会社と仕事って、たとえ異業界であっても、職種が類するものであれば、

実はやっていることの本質って変わらないよなと、最近思うようになった。

 

その業界のルールだったり知識というものは、

あとからいくらでもついてくるだろうし、あまりそれらが中核を担うとは思えない。

結局、どのようなものの考え方ができるか、

どのようなスキルがあるか、

なんだか全てその辺に集約できてしまう気がしている。

 

どんな場所であれ、似たようにロジックを組み立てて、戦略を打ち出し、実行する。

 

その共通した構造を土台として、

上に乗っかってくるものが一体何なのか。

そこに自分が快に感じるものがあるのか。

 

そういうことだろうなぁ、と。

 

昔つくった、死ぬまでにやりたいことリストを引っ張り出し、

できたものにはチェックをつけ、

新たにやりたいと思ったことを追加した。

 

まだまだやりたいこといっぱいあるし、

まだまだ20代半ばだし、

やりたいことをやろうスタンスは継続しつつ、

やりたいことに対して、どのように接するかを考えるべきだなと。

 

やりたいことをただやりたいと思い続けても、

もう20代半ばとはいえいい年にもなりつつあるので、

何かを捨ててそれを叶えにいくのは少し違う。

ただ、何かをするために、自分が何かできるようになればいい。

意外とそんな簡単なはなしなんじゃないかなと、思うようになった。

 

思ったことをやるのは間違いないけど、そこまでの道筋を考えて、実行に移す。

 

やりましょう。がんばろう。

Sound of Honda - Ayrton Senna 1989 を見て思ったこと、感じたこと。


Sound of Honda - Ayrton Senna 1989 - - YouTube

 

 

初めて見た時、ザーッと音が立ちそうなくらいの勢いで鳥肌が立ち、なぜか少し涙も出そうになった。
アイルトン・セナの走りを見たことがあるわけではないのに。

でも。
光と音によって蘇ったセナは想像の中で強く走る。
光と音って、速さを表すにはもってこい。とっても象徴的。


20年前の出来事が、当時を知るものと知らないものを結びつける。
みんな平等に、彼に魅了される。
もしかしたらこの中の何人かは、車のことに興味を持ってくれるかも。
さらに言えば、Hondaのことを好きになってくれるかも。

この取り組みは、Internaviを作った技術者たちにも強くメッセージを与えている。
この技術のおかげで、セナは蘇った。
この技術のおかげで、こんなにもワクワクすることができた。
心を動かす、技術。

この動画の途中で、光を見て微笑む男性がいる。
彼はセナのファンだったのか、Hondaの技術者なのか、それとも特に何か思い入れが在るわけではない、一般人なのか。
そんなの関係ないか。

 

きっと、ものすごい音とともに駆け抜ける光を目の前にしたら、
誰だって笑みが溢れるだろう。

 

メモ

世の中の課題を解決したい。

 

というよりは、

 

人やものを繋げて、本当によかった、と思われることをしたい。

なんというか、10あるよかったを、100あるよかったにしたい。

 

そもそも、コミュニケーションの興味があると、漠然と思い続けているけど、

もっとコミュニケーションを具体的に噛み砕くとどんなことに興味があるのか。

 

 

 

 

伊藤計劃と未来予想

伊藤計劃という作家さんがいる。

いや、正式には、いた。

 

彼の小説の1つに、「虐殺器官」というものがある。

 

未来の戦争のかたち、認証、お金、医療…

近い将来実現可能であろう世界をベースに進む物語。

 

物語は、

後進国で次々と起こる内戦に、ある男の影を見る。

主人公は自分自身や世界に違和感を持ちながら、その男を追い求めていく。

そんなストーリーになってっています。

 

物語自体も面白かったのですが、

(元々SF小説が苦手な僕ですが、のめりこみました)

特筆すべきは伊藤計劃の想像力。

 

核爆発した世界

 

認証やお金は全て登録してあるIDにて自動で行う

 

人間の感覚や生命活動が機械に操られる、

そしてそのことに何も違和感を持たない人々

 

政府による健康状態の一元管理(虐殺器官ではありませんが、、)

 

率直に、整いすぎていて無機質で、どこか冷たい世界。

そして、そこで生まれる違和感。

 

きっと他人事ではないと思う。

 

けれど、無意識に過ごしていたら、

こんな世の中になってしまっても何も違和感を持たず受け入れてしまうかもしれない。

 

なんとなく、最近の日本のことが頭をよぎりました。

 

自分たちの住む世界くらい、自分たちで意志を持って決めたいですね。

それが政治なのかもしれないけど、

あまりにも政治と想いが乖離している、間違いなく。

 

 

どうにかしないとなぁ。

【映画】 清州会議と剛力彩芽

11月9日朝9時。

清州会議の初日舞台挨拶のために有楽町まで行ってきました。

 

映画はそれはそれはとても面白かったです。

清須会議に向けての駆け引き。決してどちらもあまり上手くいかず、なかなか出し抜けず…

最終的には色々な思惑の中、意外な動きが会ったわけですが。

 

映画の感想はこれくらいにして、舞台挨拶、総勢10名もの役者さん・監督がいらっしゃって。

松姫を演じた剛力彩芽が挨拶しながら思わず涙したところで、

凄まじいキャストの方々に囲まれて、この人どれだけのプレッシャー背負ってやっていたのだろうとか、あの涙は達成感からなのか安堵感からなのか、とか色々と思ってしまいました。

 

実際、剛力彩芽の松姫は素晴らしかったです。

最後のシーンで見せた執念の気迫。

女性ならではのしたたかさ。

自分に託された任を全うするための仮面。

どれもこの映画の中ではとても重要なものだったと思います。

ひしひしとスクリーン越しに感じてくるそれらは、映画に緊迫感を持たせていたと感じました。

 

三谷監督が、

この役者さんにこのキャラクターをやらせたい、やらせたら面白そう、といったことを考えながら脚本を書くということを話していました。

憎めないバカな役を妻夫木聡がやったり、

優柔不断でどうしようか常におどおどしている役を佐藤浩市がやったり、

やっぱりハマってるなぁ、

と思う中で、優しさと隠れたしたたかさを持つ役を剛力彩芽に当てたのは素晴らしいなと。改めて思うわけです。

 

これから役者として開花してほしいなぁ。

【映画】 悪人

特報では、

ある殺人事件があり、その犯人が人を愛してしまい…

というような。

 

確かに完結に1行で表現しろと言われればそうなのですが、

映画を見た後のイメージは少し違いました。

 

悪人の公式サイト(http://publications.asahi.com/akunin/)

にも出てきましたが、

「悪人とはいったい誰なのか」

これを強く思いました。

 

人を殺すことは確かに悪人だ。

しかしだからといって、それ以外の人は悪人ではないのか。

 

妻夫木聡演じる祐一以外の人物にスポットライトを当てることで、

観ていて次第に誰が一番の悪人なのかがわからなくなってきます。

 

祐一にスポットが当たっている時、

光代(深津絵里)や房枝(樹木希林)は祐一の優しさに言及します。

 

また、佳乃(満島ひかり)が増尾(岡田将生)に車から追い出された直後も、

不器用ながらも彼の優しさが垣間見えます。

 

これらの優しさが最後の祐一の”悪人”っぷりを引き出したように感じます。

警察が目の前に迫ったとき、

「俺はあんたの思っているような人間じゃない」

そう言うと光代の首を絞めにかかります。

 

これが持つ真の意図は、

もうこの先一緒にいることができないことがわかっている。

ならば、こんな人と別れてよかったと思わせないといけない。

というような”優しさ”から出た行動ではないでしょうか。

 

光代もそれがわかってか、

「そうですよね、彼は人を殺した悪人なんですよね」

と呟きます。

   

 

事実が事実だけに、悪人であることは間違いない。

しかしそれだけではない。

その切なさがとてもストレートに出ている物語だと思いました。

 

 

最後に、少し話が逸れますが、

柄本明演じる石橋佳男(佳乃の父)がこんなことを言っていました。

 

「今の世の中、大切な人がおらん人間が多すぎる。

自分には失うものがないちゅうて、そいで強くなった気になっとう。

だけんやろ、自分が余裕のある人間て思い腐って、

失ったり欲しがったりする人を馬鹿にした目で眺めとう。

そうじゃないとよ。

そいじゃ、人間は駄目とよ。」

 

この言葉が深く刺さりました。

大切な人がいないと人生始まらんな、と。

【映画】 パレード

この映画、もう何度も観るくらいには好きなんです。でも、何が良いのか、何が自分の中に残ってるのか、よくわからなくて。

だから今回は、色々と考えながら観て。

 

サトルが登場し、琴美と話すシーン。

「嫌ならば出て行けばいいし、いたければ笑ってればいい。そういう自由な空間?」

「じゃあここって、上辺だけの付き合いなんだ」

「…上辺だけの付き合い?」

「そうじゃないと壊れちゃうもんね」

(すこし長い間)

 

ここでは、上辺だけ=そんなお互いのことについて固執しないで生活をすることがいいんでしょ?ってメッセージが込められてるような感じがして。

実際この映画の構成として、各住人の視点によって見える世界が変わってくる。

多分これは直輝が言っている「マルチバース」とも少し繋がってる部分だと思うんですけど、

登場人物それぞれの視点に立ってみないとその人のことがわからないように、

他人のことなんて知ってる面・知らない面があるのは当然のこと。

 

ただ、自分が気付いていなかったり、知られていないだろうと思っているような面についても実は知っていたりする。

そんなことを教えてくれるのが、こっそりと人の部屋に入って、人の大切な思い出や依存しているものに触れるサトルの役目だったりすると思いました。

 

 

人との繋がりって、脆くもあるし、意外と在り続けるものでもあるような、自分1人では決められないくらい不思議なものなんだよ。

 

多分、僕がこの映画に強く惹かれ続けたのはこんなところだったのかも。

見当はずれかもしれませんが。笑

 

そして、このドラマにおける

方言、オカマ、セックス、レイプ、丸山くんの存在

とかはもう少し考えてみたい部分ではある。

 

撮影地が大学の近くだったことも親近感がわく1つの要因だったのかも。

でているキャストさんもとっても豪華だし、観てみて損はないと思いますよ。